1997-06-13 第140回国会 参議院 災害対策特別委員会 第4号
私は、かつて昭和四十九年の七夕台風のときに実は当選いたしまして、お礼参りに歩くのに田んぼの中を船で歩いたという経験を実は持っているわけでありますが、そういう中で、その後すぐ伊豆半島を中心といたしまして地震に見舞われました。
私は、かつて昭和四十九年の七夕台風のときに実は当選いたしまして、お礼参りに歩くのに田んぼの中を船で歩いたという経験を実は持っているわけでありますが、そういう中で、その後すぐ伊豆半島を中心といたしまして地震に見舞われました。
そのまま放置しておったら今度の災害だということで、これはもう我が静岡県の大場川だけではないと思うのでありますが、県の河川課では千年に一度の豪雨だということを言っておりますが、私どもが当選いたしましたころは、ちょうど七夕台風でした。昭和四十九年の七月七日、これはやっぱり五日間で四百五十ミリと記憶いたしておりますが、どの程度の雨量があったのか、ちょっと説明してください。
○青木薪次君 それから静岡と清水市を結ぶ巴川という川があるわけでありますが、これも昭和四十九年の七月七日の七夕台風のときに河川がはんらんいたしまして、周囲の山から全部水を集めてくるものですから、とても入れ物が小さいということから、建設省も重点的にやっているわけでありまするけれども、静岡、清水がすっぽりと水の中に埋まってしまったという事件がありました。
○青木薪次君 今回のように時間雨量七十五ミリ、一日に三百ミリというようなことでは私は大変な問題があると思うのでありますが、私のところの静岡市と清水市を流れる巴川というのがありまして、昭和四十九年の七月七日、まさに七夕台風と言われましたときにこの辺の静岡、清水が一遍に水浸しになりました。そのときの状態は、たしか四日間で四百ミリだったと思うのでありますが、それでもこのような状態でありました。
○青木薪次君 次に、巴川の総合治水対策で質問いたしたいわけでありますが、私がこうして持っておりますこの地図は、(資料を示す)ここが静岡市で、ここが清水市でありまして、この青い区域が全部巴川の昭和四十九年の七月七日の七夕台風で浸水した地域であります。あとは、この白いところはほとんど山岳部でありまして、それこそ静岡と清水がほとんどこのことによって冠水してしまった。
静岡県の、この間、大臣が一週間ほど前に視察されました巴川の改修、これも静岡、清水が七夕台風ですっかり水に埋まってしまった、泥水に埋もれてしまったというようなこととか、静清バイパスだとか、大変解決しなきゃならぬ課題がたくさんあるわけでありますが、これらの点について建設省としてどういうふうにお考えか、これは静岡県ばかりの問題じゃありませんけれども、ひとつお考えをお聞かせいただきたいと思います。
昭和四十九年の七夕台風のときには林野庁で施した工事のところについては微動だにしなかった。しかし、東海道本線があの四十九年の七夕台風によって一週間とまった。それから国一等についてもとまってしまったんですね。したがって、そういうような関係についてどういうようにお考えになっておられるのか、その点を港湾と林野庁からお伺いいたしたい。
先般八月三十日から九月一日までの三日間私どもが静岡県の、特に四十九年の七夕台風と五十年災、五十一年災の復旧計画等について調査いたしてまいったのでありますが、特にこの中で静岡県の松崎町の松崎港が前回港を埋められてしまったわけでありますが、ここは防波堤を片方に、湾の右岸につくってあります。